http://www.rubyist.net/~matz/20080129.htmlを読んで思うこと、
「言語」というものは、自然言語プログラミング言語を問わず、
「思考」を方向付けるものであり、「文化」を導出するものである。
思考と文化は、考える葦である文化的存在な「人」にとっては、
実は無意識的に命の次に大事な問題なのだ。
だから、1つの言語に愛を感じてしまっているひとは、
それ以外の言語が評価されることによって、
自身のアイデンティティを脅かされたと感知して、
どうしても排他的な反応を起こしてしまう。


しかし、よく考えてみよう。
言語とは、実は人間という存在とは不可分なものでは無いはずだ、
言い替えれば、人間は言語から自由な存在であるはずである。